葬儀を終えて思うこと
母を見送り2カ月以上が経ち、無事忌明けを迎える事ができました。
香典返しの配送も済み、これで葬儀にまつわる事が一段落というところでしょうか。
目の前には初盆が控えていますので、もう一息気が抜けない感覚では過ごしています。
ですが、一旦区切りになったので、この辺りで葬儀を執り行う一連の中で、特に困った事や事前にこうしておけば良かった事をまとめてみました。
勿論、これは私目線で感じた事なので、必ずしも他の方々と共通するかは別問題ですが。
同じ様な立場にいらっしゃる方へ、少しでもお役に立てたら幸いです。
故人の交友関係の把握が曖昧だった
母の近々の知人はなんとなく分かります。
それでもお顔と名前はなかなか一致しませんけどね。
曖昧でした。
どうしても、同じ年代のご婦人は同じに見えてしまいがちなのです。
距離のあるお付き合いの方や、趣味の会のメンバー、同年、地域コミュニティの集まり・・なんてお顔はさっぱり分かりませんでした。
香典帳を振り返り、聞き覚えすらないというお名前もちらほら。
こんな事なら母の元気なうちに、名簿や電話帳を参考に、どの程度のお付き合いなのかを具体的に話せたら良かったなぁ・・と振り返ります。
そういう機会が持てなかったとしても、日頃の母の世間話を「いつも同じ話だな~」といい加減に聞き流すのではなく、その会話をきっかけに、終活に向けて誘導しながら話が聞けたら理想的だったろうと。
せめて、名前とざっくりとした関係だけでも聞き出せていたら、様子伺いに訪ねて来て下さる人への対応が幾分マシになったのでは?と思ったからです。
顔は判らないにしろ、ある程度名前を聞いて「ああ、踊りでお世話になった・・・」と会話を繋げる事ができるからです。
誰が来られても『キョトン?』ではあまりに失礼なのです。
事実、私は『毎回キョトン』でしたから、訪ねて下さった方々には大変申し訳なく感じています。
せめて近しい友人の名前と関係は把握しておきたかったなぁ。
何年も離れて暮らしていたのを言い訳にしたとしても、ほぼ毎回お名前を聞く始末です。
これでは再々訪ねて来る人も、気が引けますよね。
過去の母の世間話の記憶を辿り、電話帳・名簿・以前のお見舞い名簿等と照らし合わせて、なんとかかんとか乗り越えましたが、事前にもっと聞いておけば楽だったのでは?と思わずにはいられません。
自治会の葬儀ルールを把握していなかった
実家は田舎で、地域の繋がりが非常に強い場所です。
自治会の隣組管轄で、独自の葬儀委員が存在します。
ここ最近は、家族葬という選択が増えてきましたが、母の場合は地域の役員等も引き受けたり関わりも多かったので、一般葬にしたのです。
そこで戸惑ったのが、葬儀委員さんの存在でした。
遺族が告別式会場に向かい留守になる自宅で、留守番をして香典の受付をして下さったり、地区内の人には香典返しは要らないという暗黙のルールがある事などを教えて下さったり。
それはとても助かる存在でしたが、一般的なやり方と地域の独自ルールが混在してしまい、何も知らない私達遺族は、あたふたしました。
最も、こうなる前に近所の人に聞いておけば良かったのですが、私にはそれがどうしても出来なかったのです。
人見知りとか、そんな理由じゃないですよ。
何度となく、ご近所の人と話す機会はありましたし、その中には現役役員さんで詳しい人もいましたから、聞けばすぐに分かった事柄ばかりだと思います。
母の最期の時の話題を出す事で その時が早まる気がしてどうしても切り出せなかったのです。
容態が悪くなればなる程、聞く事が出来ませんでした。
こういう地域の事も、母が元気なうちに、もう少し詳しく聞いておけば良かったと反省しきりです。
それでも心配は要らない
ただ、皆さんとても親切にして下さいましたので、過度な心配は要らない気がします。
分からない事は、その都度何でも教えて下さいました。
地域の方も、葬儀社の方も、些細な事でも何でも教えて下さるので、まぁ頼もしいです。
それが例え仕事でプロだからとしても、ドンとお任せできる安心感がありました。
お寺やお墓の事も、本当に母に任せっきりでしたので、法要やしきたりもほとんど分かりませんでしたが、これも言った所で後の祭り、今後の事はその都度住職に聞けば良し、とするしかないのですから。
聞けることは今のうちに
母が元気なら、こんな事はいつでも聞けたはずなのに。
この『いつでも聞ける』に甘えて、結局聞きそびれてしまった訳です。
皆様のご両親が健在なら、世間話の延長として聞いておくと、後々自分が助かるのではないでしょうか。
いつか聞こうではなく、後回しにせず、今。
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