老後の生活は不安じゃない
盲目の芸人さんから学んだこと
【第16回 R-1グランプリ 2018】で、見事に優勝されたのは、盲目の濱田さんという芸人さんをご存知ですか?
R-1で優勝すると当然の事ながら、メディアを含めて多方面での活躍の場が広がるようで、TVでも連日出演されているのを拝見します。
そんなある日、何気につけたTV番組(NHKさんだったか・・も定かではなくて、番組名も覚えていませんが)にも出演されていました。
番組も最後の方でしたので、内容も把握しないまま、ぼんやりと見ていた私でしたが、どうやら福祉をテーマにした番組の様でした。
濱田さん以外にも、司会役のタレントさんや、他にも体にハンディキャップを持った一般のゲスト数人の方々で、トーク形式で進行されていた様に記憶しています。
当たり前の日常って何?
番組の中で、印象に残る言葉がいくつかありました。
今、私はこうして迫りくる老後に向けて 身辺整理をしたり、健康を維持できるようにと意気込んでいる真っ最中なのですが、この行動の源は不安なんですね。
不安を少しでも解消する為に、
「じゃあ準備できる事はしていこうじゃないか」
という訳なのです。
ところが、濱田さんを見ていても、他のゲストの方々を見ていても、至って普通。
ハンディキャップを持っている人も様々ではありますから、一概にひとまとめにはできません。
そこに至るまでには、葛藤やもどかしさもあったかとは思います。
でも、不安さが見えないのです。
生活していく中で、健常者とは違う工夫はされていらっしゃいます。
しかし彼らにしてみれば、それは日常なのだと言われるのです。
産まれながら障害のある人もいらっしゃるから、『共存』していく他ないのは理解できます。
彼らの話を聞いていると、確かに不自由ではあるけれどそれが普通だからどうって事ないのだそう。
「どこへ行くにも、何をするにも、この状態が常だし、そんなに心配しなくても社会もフォローしてくれる事があるのでなんとかなる」
と明るく言われるのです。
自分はどうだろう
その言葉を、自分の老後に置き換えて考えてみました。
決して同じ環境ではないですし、比較対象すること自体が違うかもしれないのですが。
今の何の不自由のない身体が当たり前に感じてしまっています。
だから、病気や老後で身体が思うように動かなくなる事に対する不安が増えるのではないでしょうか。
確かに、今から運動したり食べ物に気をつける事は、とても良い事です。
続けていけば良いのですが、人間誰しも歳を重ねて老いていくものだし、気をつけていても病気になってしまう事だってそりゃあります。
私は、そこに怯えすぎなんじゃないか?
もし仮に病気になっても、老いて不自由になったとしても、自然の流れとして受け止める事が出来れば、必要以上の不安や悲観する事は無いんじゃないか。
・・・そういう事を気づかせてもらった気がするんです。
例えばですが、歩けなくなったとしても、車椅子があります。
制限はあるにしても、どこにも行けない事なんてないのでは?
福祉車両だってあるじゃないか。
運動したければ、車椅子でのスポーツの種類だってたくさん選択肢があります。
極端な話、インドアで楽しむ方法だって、探せばいくらでもある訳です。
違った方向から将来を眺めてみると、私は随分肩に力が入っていた事に気づいたのです。
なんとかなる精神で肩の力をぬこう
彼らは100歳まで生きたい?の問いにYESと答えます。
理由はまちまちですが、医療もその頃には更に進化して、ハンディキャップが治る可能性もあるかも知れないからと。
未来への明るい想いを感じます。
将来への不安も、考え方1つで期待に変わっていくのかも。
友人の1人が将来について
「私は何とかなると思ってるから」
と言っていた事を思い出しました。
ああ、それも有りだな。
今ならそう思えます。
それでも私の老活は続きます。
なぜなら、やりたいから(笑)。
その一言に尽きます。
人それぞれ色々な進み方があって当然なんだ。
老いに対しての私は、まだまだヒヨッ子レベルの考えしかありません。
でも、こうして出逢った情報に刺激を受けながら、流れる様に普通に前に進めばいいだけなのではないかと、また1つ心が軽くなりました。
母から教わったこと
先日、母が他界しました。
寂しさや空虚感は当然あります。
何をしていても、うわの空。
ですが、母の生き様を改めて振り返ってみても、そこまで過剰な心配は要らないのではないかと思えたのです。
好きな事をして、くよくよせず、悩みも笑い飛ばす様な母でした。
『心のままに人生を謳歌する』
そんな事を教えてくれました。
実家終いなど、やらなければならない事は山積みです。
ですが、お陰で何とかなると思える様になりました。
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