ピンピンコロリは本当に理想なのか
なぜ、健康でいたいの?

ダマさん、最近納豆にお酢入れて食べてるよ。
これも、健康の為なんだろか。

あれやこれやと、忙しい人だねぇ。
間違いなく体に良さげな組み合わせだけど、味どうなん?
50代を超えてから、健康に関する情報にやたらアンテナが反応するようになりました。
老活している影響も、多少あるのでしょうか。
食べ物に気をつけたり、運動したり、ストレスをためないようにしたり。
良いと言われることは、試してみたくなるものです。
しかし、長続きしなかったり、自分には合わなかったり、定着するものを探し当てるまでは、大忙しの健康迷子状態が続いたりします。
娘目線でピンピンコロリを考える
ピンピンコロリとは:
健康寿命の長さを言い表した表現。
病気や寝たきりになることなく元気に長生きして最後はコロリと亡くなること。
又は、そのように元気で生きようという標語を指す。
ピンピンコロリ志願の背景には、
①自分の為に健康寿命を延ばしたい気持ち
と、
②患う事で家族に迷惑をかけたくない気持ち
が、混在しているのだと思います。
誰だってそりゃ、病気で寝たきりになるより、健康で動き回れる方が良いに決まってますもの。
ピンピンコロリvs長く患う

そりゃあ、『ピンピンコロリ』の圧勝でしょ?
決まってるじゃん。

普通に考えればね。
ダマさんちょっと変わってるから、意外と『長く患う』押しだったりして。
では、本題です。
残される側の立場から考えてみましょう。
1年前、母を見送った時の実体験から、思った事です。
パターン1(ピンピンコロリ):昨日まで普通に生活していて話もできた人が、翌日亡くなった場合。
パターン2(数年患う):3年程要介護生活になり、最後は寝たきりで亡くなった場合。
比べる事自体、不謹慎かも知れません。
どちらも、とても悲しいお別れですものね。
ですが、パターン2の方が残される家族の心の準備をする時間が、圧倒的に多くなります。
パターン1の方は、お別れの言葉をかける時間もないかも知れません。
『親孝行、したい時に親はなし』という言葉があります。
パターン1・パターン2の親族が、常日頃「親孝行できていないな」と感じていたとしますよね。
でも、パターン2なら、例え病床であっても、何かしてあげる時間が残されています。
けれども、最期の時は誰にも予想が出来ません。
いつ、急逝するかも分かりません。
「長く患うのが嫌だから、1年くらいにして欲しい」なんてオーダーも出来やしないのです。
だから、「迷惑をかけたくない」「体が辛いのは嫌」と、健康志向に走りたくなるのです。
患うのが長ければ長い程、シンプルに本人の身体はしんどいですもん。
見送る家族側には、時間が必要
大事な家族を見送るのは、一大イベントです。
悲しまない人はいないはず。
しばらくは、日常生活もぼんやり過ごしてしまったり、何もやる気が起きなかったりするものです。
私も1年前に母を見送った時は、ご多聞に漏れずショボーンとしました。
ですが、案外早く心の元気を取り戻す事ができたのです。
カラ元気でもなく。
心の復活が早い原因は、3年間という時間にありました。
母が入院して亡くなるまでに、私が田舎に戻り面会を繰り返した時間のことです。
この3年があったからこそ、
気が済むまで母と向き合え、
少しずつ覚悟もでき、
やり残したことはない
と、心の整理をつける事が出来たのだと思うのです。
どのくらいの時間があればいいのかなんて、正直わかりません。
人それぞれだと言うしかないです。
でも、2~3カ月で逝ってしまったと想像した場合、心の整理がつかず間違いなく引きずっていたと思います。
あれもしてあげたかった・・これも・・と、後悔まみれだったでしょう。

思い残しがないようにする為に、ある程度の時間が必要ってことが言いたいんだね。
心の持ち方を変えよう

心の持ち方?
この体験を基に、自分の気持ちの持ちようを変える事にしました。
患った場合でも「迷惑をかけたくない」と、思わないようにするという事です。
100%そう思うのは無理かも知れませんけど(笑)
確かに、元気に越したことはないです。
しかし
『迷惑をかける』と思っていた時間は、親族の受け止め方次第で、『心を整理するかけがえのない時間になる』ことが分かったからです。
あくまでも個人の考えですが、必要以上に「ごめんね」とか「迷惑をかけるね」と思わないでいいんじゃないかな、という事。
見送った経験→見送られる側に立つ→今までの考えが変わる
こんな感じ。
心の整理に時間が必要だからと言って、余命のタイムリミットが迫る親族に対して『一緒に過ごす時をつくりましょう』と勧めるのではありません。
だって、人により状況は異なるでしょう?
どうにもならない環境だってあります。
遠方に住んでいる場合だけでなく、仕事やお子さんの関係で、時間がない人。
いろんな状況が想定できるのに、自分の生活全てを投げ捨てて、患者に向き合うのは相当な覚悟とリスクが伴います。
そんな無理はしなくていいと思うのです。
いざとなれば、医療機関・公共サービスをフル活用して、1人で逝くことも可能なのだから。
それでも、親族があれやこれやと世話をしてくれるというなら、『迷惑をかける』と思わないで、ただ『ありがとう』と受け止めることにしようと。
勿論、引き続き健康管理に精を出すつもりです。
しんどいのは嫌だし(笑)
それでも病気になった時は、前向きに治療していく手段を選ぶでしょうし。
長引こうが何だろうが、迷惑かどうかの判断は、患者本人には下せない領域だから。

ダマさんってば、いつになく真面目に考えてみたんだね。
でも結果、丸投げ的な発言に聞こえるのは・・気のせい?
いいえ、決して丸投げするんじゃないですよ。
パターン1・パターン2のどちらに転がるか、分からないからこその老活なのです。
エンディングノートや、ブログに想いを残せたら、どんな状況でも感謝の言葉を大切な人に伝える事ができると思うから、今行動をしているのです。
これからも、大切なことを残す作業は、積み重ねていきますよ。
普段から、言いたい事を伝えておくと良いのですが、離れて暮らしているとなかなかそうもいきませんからね。
私の心は、更に自由なものになりました。
めでたい。

おぅ♡どんどん自由になったらいいよぉー。
行き着くトコまでいっちゃえ。

具体的に老活を進めていくと、緩めるポイントも分かってくるね。
いい流れだよ。
ゆるくゆるくガンバレ老活!
コメント